あかとくろとあさぎ

2021年10月公開映画『燃えよ剣』を楽しんでいる山田担のブログ

山田涼介くんのファンとしての映画『燃えよ剣』沖田総司の衝撃(ネタバレあり)

私が初めて小説「燃えよ剣」を読んだのは、確か中学生の時だったと思います。
本格的な時代小説を読むのは初めてだったのですが、思ったよりサクサク読み進めることができ、全てを理解しきれなかったものの、なんだか大人の世界を垣間見てしまったような不思議な気持ちになった記憶があります。

その後、様々なコンテンツで多種多様に描かれる「新撰組」という集団を目にすることになりましたが、この「燃えよ剣」という作品で提示された「新撰組」像は、絶対的な基準のようなものとして、私の中に常に存在し続けていたような気がします。

そんな作品に山田くんがあの沖田総司役で出演することが分かり、まず最初に「とんでもないことになった」と思いました。
それまでの私は、新撰組内で特に沖田総司が好きだったという訳ではないのですが、そうではない人間であっても、本作の彼がいかに魅力的なキャラクターで、そして後続のコンテンツにどれだけ影響を及ぼしてきたかくらいは知っていました。
慌てて原作を読み返し、関連する書籍を少し買ってみたり、原田監督がオマージュ先として名前を挙げられていた映画作品を鑑賞してみたりしました。
このブログ自体も、その勢いに任せて立ち上げたものです。

改めて読み返した司馬遼太郎作品の沖田総司という人物はあまりにも魅力的で、これを山田くんが演じるのか……と考えると、楽しみすぎてなんだかいてもたってもいられない気持ちになりました。
それに加え、厳しいことで有名な原田監督や、あの岡田准一さんが山田くんの沖田総司を絶賛しているのを見て、期待は高まる一方でした。
公開延期が決まってしまった時はとてもショックでしたが、まだ心の準備ができていない段階で見なくて良かったかもしれない——そんなことまで思いました。
しかし再度決定した公開日当日になっても私は全くその「心の準備」はできておらず、結局、まるで全然実感が湧かないままフワフワした状態で映画を見に行く羽目になりました。


そうして私は実際に「燃えよ剣」を公開初日に見に行き、その後も改めて何度か映画館に足を運んだのですが、なんだか未だに、この「沖田総司」という人物が、山田くんが演じた役柄だという事実にピンと来ていません。
それくらい、1人の人間として沖田総司に魅せられてしまったのです。

今まで山田くんの演じた役柄の中に大好きなものは沢山ありますし、今回の沖田さんとはまた違った形で山田くんの演技力に唸らされたことも数多くあります。
なのにどうしてこれだけ、沖田総司が特別に感じられてしまうのか。
原田眞人監督は、公式サイトで山田くんに対し、こうコメントしていらっしゃいました。

すべてが「スクリーン上の沖田総司であるべき人」のベクトルを指している。

moeyoken-movie.com

沖田さんの美しさ、強さ、儚さ、そして何より「宿命」としか言いようのないドラマチックな生き様。その魅力を一つ一つ言語化していくと、私が山田くん本人に感じていた魅力とも重なるところが大きいです。
しかし、スクリーン上に存在していた沖田総司のふとした言動や佇まいが、どう考えても山田くん本人のそれとは完全に別人のものにしか見えないのです。
ちょっとした身のこなしや、ふとした瞬間の表情。たとえば親しい相手に軽口を叩くときの言葉選びや声色などが、どれも「山田くん本人だったらそうはしない」と思わされるものばかりだったのです。
その結果、映画鑑賞を通して、山田くんと同じ顔で、同じような輝きを持っていながら、全く似て非なる人間がそこにいるという、不思議な体験をすることになりました。

これまで山田くんが演じた役の中にも、それぞれ山田くんと共通する部分、全く異なる部分を見出していました。
しかし、ここまで山田くん本人と「似て非なる存在」と感じてしまったキャラクターはいなかったように思います。
また、本作品自体が「幕末」という時代を圧倒的なスケール感とリアリティで描き出していたことも加わり、結果「現代とは全く異なる激動の時代を生き抜いた、山田くん瓜二つの外見だけど似て非なる、悲劇的な運命を背負った天才美剣士がいる」という事態を目の当たりにすることになったのです。
とてつもない衝撃でした。


本作における沖田総司がどれだけ魅力的なキャラクターであるか、語り尽くせないことは承知の上で、少しでも自分なりの言葉にしていきたいと思います。

まず、特に印象的だったのが、柔らかな物腰でした。
荒々しく粗野で、ギラギラとした野望に燃える剣士たちの中にあって、沖田さんは常にどこか一歩引いて彼らの様子を見ています。あるいは、子どもたちと楽しげに遊んでいます。
人斬り集団である新撰組の一員とは思えないどころか、成人した武士とは思えないほど、老若男女問わず誰もが心を開いてしまうような、そんな優しげな人です。
職人のような無骨な生き方しかできなかった土方歳三という主人公も、彼の前でだけは素直に本心を曝け出すことができていたように見えます。今作の沖田さんは原作よりもさらに、土方さんとお雪さんとの間を取り持つような役割を担っていたと感じたのですが、立場上、簡単に本心を打ち明けることができない2人の微妙な緊張感を、沖田さんの柔和な雰囲気がほどいてくれていたように感じました。
また、沖田さんの顔つきや声色には、なんとも言えない可愛らしさやあどけなさがあるのですが、どれもあくまで自然体で、何かしらの思惑があって表面上そう取り繕っているようには全く感じられません。上品な落ち着きがあるためでしょうか。
だからこそ、土方さんと敵対する芹沢鴨にも気に入られ、あれほど体調まで気遣われていたのだと思います。結果的にそれが彼にとって悲劇をもたらすことを思うと、皮肉な話ではありますが……

それでいて沖田さんは、剣士としても実力者であり、新撰組の中でも隊士たちをまとめ上げる立場にいます。
隊士たちに稽古をつけている際は、普段の温和な表情とは打って変わって厳しい眼差しで、低く力強い声で言葉をかけます。その姿にとても衝撃を受けました。
映画を視聴する前から、「屈強な男性たちの中で異彩を放つ、物腰柔らかな中性的な美青年」という沖田総司の姿は、パブリックイメージからなんとなく想像できていたのですが、いくら実力者とはいえ、そんな彼が新撰組の幹部の一人として隊士たちを率いているという構図に、私はこれまでどことなく不自然さも感じていていました。だからこそファンタジーとして、皆が夢を託せる存在なのだと思い、勝手に納得していました。
しかし、今作の沖田総司は、そんな隊士たちが従わざるを得ない迫力を持つ「隊長」でした。隊士たちを日常的にしごきあげるだけでなく、規律を破り切腹を命じられた者を介錯する際でさえも、最後まで厳しく接する、そんな恐ろしい人物です。
しかも、その雰囲気の変わるタイミングがいちいち絶妙で、決して二重人格者のようには見えず、どちらも同じ沖田さんなのだという説得力がありました。
また立ち回りにおいては、力任せでなく、速く軽やかな剣裁きが印象的でしたが、常に重心は低く、ぶれることのない動きには、本物の日本刀を携えて命を取り合いをしているという説得力がありました。
これがリアルな剣士としての「沖田総司」なのだ。そう感じずにはいられませんでした。

そんな恐ろしい剣士である沖田さんですが、ただの残酷な人間のようには思えませんでした。近藤さんと土方さんのためならば、いくらでも人を簡単に斬り捨てるのですが、それは「人を殺したいから」ではなく、「近藤さんと土方さんがそう言うなら、それがこの人の運命だから」と、心から納得してやっているように見えたのです。
浪士たちが潜む屋敷に1人で行こうとする土方さんに「私が行くというのは」と声をかけたのも、病を患いながら池田屋に赴いたのも、個人としての手柄を上げたいというより、近藤さんと土方さんのために役に立てる剣士でありたいと感じていたからではないでしょうか。
どこまでも自分を勘定のうちにいれず、ただ愛する人のために戦う、それが沖田総司という人間なのだと思いました。

その沖田さんの、近藤さんと土方さんの関係しないほぼ唯一の夢が、生涯たった1人の女性と結ばれる、ということだったのだと思います。
今作では原作からアレンジを加え、芸妓である糸里さんに思いを寄せられている描写があり、沖田さんもそれを受け入れていたように見えましたが、2人でいる時の表情は常にどこか浮かないものでした。それは、相手のことを思えば思うほど、先の長くない自分は一緒にいてやることができないという悲しみからだったのではないかと思います。
個人的な見解ですが、この2人の関係については、映画オリジナルだったこともあり、沖田さんからの感情について、敢えて作中では明確に描いてはいなかったようにも感じました。もちろん、糸里さんからの好意を無碍にしていたようには見えないのですが、沖田さんは寄り添おうとしてくれている彼女にどこか困惑していたようにも見えました。今の自分では彼女を愛する資格がないと、敢えて自分の気持ちに蓋をしていたのではないか……と私には感じられました。「刀はどんな美人よりも美しい」という台詞など、愛する女性がいる立場で発する言葉としては沖田さんらしくないと思ったのですが、そんな女性一人思うように愛することもできない自分の生き様を刀に重ねていたと思うと納得できるような気がします。

これほど愛の人である沖田さんが、労咳という当時の不治の病に罹ってしまったばかりに、愛する人たちから離れ、孤独な最期を迎えることになってしまったということ、あの土蔵のシーンを思い返すだけでとても辛い気持ちになります。

しかし、死期が近づくにつれ、頰がこけ、痩せ細っていく沖田さんのなんと美しかったことか。次第にか細く、弱々しくなっていく声は決して優しさを失わず、この状態になったことでむしろ、沖田総司という人間の本質がより明確になっていったように感じました。
寝込んでいる沖田さんの元を土方さんが訪れる場面が二度ほどありましたが、自ら立ち上がることさえできなくなっても、明るい口調で土方さんに普段通りの言葉をかけるその気丈さは美しく、そして悲しいものでした。菊一文字を目の前で抜いてもらった時の、病的で爛々とした瞳は、彼が最後まで生き抜こうとしたエネルギーの源が何かを物語っているようでした。
その後、近藤さんの死を知ったことで、彼がどんな思いを抱いたのか。その瞬間の表情を写さないからこそ、直後の後ろ姿の佇まいは何よりも雄弁で、黒猫に刃を向ける眼光の鋭さ、哀しさは目に焼き付いて離れません。
そもそも、予告映像でも映っていた、竹林を背後に微笑む沖田さんの姿は、まだ健康だった時期のものとは言え、何故か彼の儚い一生を予感させるようなものでした。彼の最期を知っているからこそ、私たちは余計、沖田総司の一挙一動に魅せられてしまうのだと思います。
これは決して生身の人間に抱いてはいけない感情で、史実を基にしているとはいえ、あくまでフィクションのキャラクターである本作の「沖田総司」だからこそ堪能できた魅力だと思います。


長々と語ってしまいましたが、これでもまだ本作の沖田総司の魅力について半分も言及できていないように思います。
私はこれまで山田くんのファンをする中で、沢山の楽しみや喜びをもらってきたのですが、今回また、この「沖田総司」というあまりにも魅力的すぎる人物と出逢わせてくれたというとてつもなく大きな恩ができてしまいました。
本当に幸せで、山田くんには感謝しかないと日々噛み締めています。とにかく好きなだけゲームをして、夜中にブラックサンダーを食べたりビールを飲んだりしていてほしいです。(これは常日頃から思っていることですが)


ちなみに以前、この映画の公開に備え、自分がどれだけ衝撃を受けても大丈夫なように、山田くんの過去の作品から沖田総司像を想像してみたりしたのですが、結局何の意味もありませんでした。

moto10-0.hatenablog.com

この記事を書いた当時の自分に対し、「その楽しみにしていた以上の凄いものが見れたよ!」とは思っているのですが、衝撃に負けてニヤニヤする余裕がありません。
名前を上げている作品の中は山田くんが沖田総司以前に演じたもの、以後に演じたもの両方が混じっていますが、どれも共通していると言えるし、またどれも共通していないも言えるような気がします。


そして、下記は原田監督が『燃えよ剣』について語られていた講演会の動画を自分用のチャプターにまとめた記事なのですが、もし未見の方がいらっしゃいましたら、ぜひ元の動画をご覧になっていただきたいです。興味深いお話を沢山されているので、見終わった今だとより面白く見ることができるのではないかと思います。

moto10-0.hatenablog.com


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監督が沖田総司スピンオフの可能性に言及されていたこと、夢のようなお話ですが、私はなんだかまだ気持ちが追いついていません。
とりあえず今は、映画館に何度も通って、あの時の山田くんにしか演じることができなかった今作の沖田総司という人物を、大切に愛していきたいと思います。
そして今後、山田くんが他にも沢山魅力的な作品に出演して、また新しい顔を見せてくれることを楽しみにしています。